青くてごめんね

書きたいことをね、自由に書きます

死ねなかった 何の成果も無かった1年

高温多湿の不快な気候が続きますがいかがお過ごしでしょうか。

いよいよ仕事を再開することになりました。再度の終わりの始まり……

この1年何をやったか、何ができたかと聞かれると、胸を張って言えるものはありません。時間が死ぬほどあっても結局こうなんだなと、「高が知れる」とはまさにこのこと。募っていったのは焦りと不安と絶望でした。

何なんだろうな。私の人生。なんで自分なりに一生懸命生きてきてこうなっちゃったんだろうな。(仕事が合わない)。せめてまだ若いうちに死にたい。でも死ねない。

の、堂々巡りを1年し続けただけでした

過去を顧みて、嫌な思いを反芻し、友達が少なすぎるが故、アラサーの今に至っても、小中高の頃の悪夢を何度も見て。働き続けることだけが確定した将来から脱却したいと藻掻き。

でもやはり働くしかないようです、自分を殺して。それなら、自分から死んでやろう。と思うのは自然な思考ですが、まあ、天涯孤独というわけでもないので無理です。

休職した知り合いは復職して頑張っているようです

転職も考えましたが、やりたいこと を深掘りして、その過程で、あの就活の努力を思い出し、数年後に全く同じことをしている構造的な馬鹿馬鹿しさに、白けるしかありません。 能無しやる気無し何なら生きる気力無しの文系が今の職場の待遇並のところへ転職できるほど世の中甘くないでしょう

親や数少ない知人に助言を仰ぎ、確かに意見も貰いましたが、そんな重すぎる決断、自分しか責任取れません ※自分ですら責任取りたくありません

私は何がしたいのでしょうか?

生きがい、やりたいこと、自身を貫く何か、を見つけられればよかったのですが、そんなものありませんでした。就活の「軸」と同じですね。言葉だけ

ゲーム漫画アニメ……一瞬の愉楽に気持ちを誤魔化している、という俯瞰の視点が抜けません

創作…人物の目すら描けなくなりました

その時間が終わったあと、その次、のことを考えてしまう癖がついてしまい、自分自身になってしまいました。集中して遊んでスッキリ!さあ次も頑張ろう! とはなりません。

「こんなことしてていいのかな?」

という疑念が頭をもたげます。常に。

では、語学学習や資格取得やスキルアップなら罪悪感が無いのでは? 。。確かに。

易きに流れすぎて、金魚ほどの集中力も失い、何も頭に入ってきません。。。

この勉強して、人生良くなるのかな?幸せになれるのかな?将来プラスになるのかな?

「こんなことしてていいのかな?」

なら、どうせ皆死んでしまうなら、楽しいことしておいたほうがいいんじゃない?

と、先程の二次元趣味に向かって、輪廻です。

とはいえ有り余る時間の中でやったこと

・旅行:仕事をしていたら絶対に不可能な、平日出発の旅行を3回しました。旅行支援も使って。楽しかった。あと、平日に実家に帰省したりして、ド平日のショッピングモールを闊歩したりしました。すごく楽しかった。

・デイトレード:これまた仕事をしていたら100%不可能。これこそ、難易度が高いと思います。平日9時〜15時に毎日PCに張り付ける人間ってニートか休職中の人しかいませんよね。一発逆転を夢見て4〜5月にかけて真剣に取り組みましたが、コツコツドカンですらなく、少しずつ乃至ドカン負けで結局−1万になり、諦めました。馬鹿です。成功している人も、最初は100万とか1000万とか負けてるみたいです。これに耐えられないといけません。私は無理でした。

後は……アマプラやユーチューブでいろんな動画を見たり、近所を散歩したり、たまに平日ランチに行ったり、料理したり、、、、、、、、、 、、、、

とはいえ何もやってないですね?

悶々と過ごしました。正直に申し上げますと。ひたすら。

まあ、好きな時間に寝て好きな時間に起きてのんびり家事をやるのは、最初こそウキウキ、ああ生きてる!って感じがしましたが、慣れると喜びも薄れ。毎日毎日、刻一刻とこのピースフルな日々が消滅していくと思うと、動機がして眠れないこともありました。

これって何かに似ています。そう、平日の仕事が終わった休日です。ああ、やっと一週間終わった。土曜日。日曜日。ああ、もう仕事が始まってしまう。。平日5に挟まれた休日2って、なにこれ。こんなの人生楽しくないに決まってるじゃん。

つまり、結局は 仕事の間の 日々に過ぎないのです。何の金づるも人脈もコネも運も無い凡人はこの世の中でしこしこと働くしかないのです。人生の大半を費やして。

そして国家の養分となり社会の一部となりせせこましく生きていくしかないのです。雀の涙の余暇のために

なぜこうなってしまったの?

就職するまでは自己採点120点の人生でした。でもそこから、真っ暗です。仕事。仕事。目の前には仕事ばかりがある。

目標、立てようと思ったらいくらでも自由に立てられます。子作り。マイホーム計画。趣味に仕事に。自分磨きに。

でも、どう甘く見積もっても仕事が人生のベースになることからは逃れられません。仕事で頑張ろうとも思いました。でも自分の気質に合わなすぎるんです。

転職は怖いです。就活であんだけ苦労したのに数年後転職なんて自己否定にも程があります。キラキラした顔で理想を語るなんて今の自分には無理です

のんびり過ごしていれば好転するきっかけが転がってくると、思っていました。しかしながら、ただの1つもそのようなものは訪れませんでした。

「死事」です。仕事は。残念な私にとっての。続けると、その作業のくだらなさ、理不尽さ、納得のいかなさ、つまらなさ、馬鹿馬鹿しさ、成長の無さ、で心が死ぬ。何の希望もない。お金は得られるけど、価値を実感できない。だって平日5日を捧げてるんだから対価として当然でしょう。

なぜ、仕事をしてまで生きなければいけないのか。

身寄りがなければ生活保護で甘い汁を啜り幸せに過ごすことも可能ですが、私はそのような境遇ではありません。

、、、あ、、、端的に言って、致命的に今の仕事と相性がよくないのだと思います。

でも、それが本当かどうかは別の仕事に就かないと分からない、という難しさがあります。

大学生の自分がもっと深く考えれば避けられたのでしょうか? 1年生でやった事務職のバイトがつまらなくて、「どうせバイトするなら楽しいことしたいな」とバイト先を変えた事実を鑑みれば、、、、、事務職に向いていないことは経験知なのですが

逃げ場はありませんので労災で死ねるよう働きます

世間体という、私が悲しくも重要視してしまう観点を加味すると、欠陥まみれながらも一応五体満足な子無し大卒成人女性は、正社員として働くほかないのです。

趣味も以前ほど楽しめなくなって、それも辛いです。

安らかに過ごせていた賃貸マンションは、今年4月に騒音馬鹿家族が転居してきたことにより、23時台に物音が響きまくる絶望空間と化しました。

何も、、、、、希望はありません。やりたいことを純粋な気持ちで追える年齢でもありません。

ネットを見ては、何者かになって評価されている人たちを見て、虚しさを覚えるばかりです。

ああ、死ねずにここにいる。もう人生続けたくない。つらい。働くために生きたくない。働いてさらに何かやろう、と思えない器の小さい人間だった。

私は生保に加入してないので、労災で運良く死ねるよう頑張ります。