青くてごめんね

書きたいことをね、自由に書きます

仕事、金、人生。しかし

仕事をするとお金が手に入る。

しかし、仕事は面白くない。

しかも、手に入ったお金で生を存続させる積極的理由、このためなら仕事頑張れる、というところまで心身を高揚させる事柄を掴めない

(※筆者はよくいるオタク(腐女子)なので、そりゃもちろん、BL漫画読んでりゃウホッてなるし、アークナイツでイベントステージ星3クリアできたらガッツポーズするし、絵を描けば…楽しい。(願望)。しかしながら、それは、平日の退勤後・休日の家事以外の時間で進めるものである。どちらを人生の「地と図」にするかはアナタ次第、であるが、圧倒的な時間差(趣味と仕事)を前に、昂り、熱意、興味、は次第に、着実に色褪せてきてしまっている。)

 

しかし、今の仕事は、おそらく世間的に見ると非常に「よい」。

給与、休暇の取得のしやすさ、育産休を挟んでの継続しやすさ。

年功序列を地で行く会社で、しがない事務職でもゆとりある暮らしができる程度のお金が確実に得られる。

しかし、仕事は面白くないのだ。面白い仕事など、幻想だろうが、

社内規定に基づいているかどうかなんて正直どうでもよく、ちょろまかせればお好きにどうぞと感じる。

好印象を抱いている相手であれば優遇したくなるし、目の敵になってしまった相手であれば、厳しく見張りたくなる。ちょうど、メール便の厚さ3cmを厳守しているか定規を滑らせるように

こういう私的感情は仕事には一切不要なのである。いかに自身が感情本位な人間であるかと常々感じる。業務中、頭の中では感嘆詩が飛び交っているのだから。くそーーーー、はぁ〜〜〜? だいしゅき!!etc,,,

例えばカジュアルな質問をする時、「〜〜ですか??」と、クエスチョンマークを2つ重ねる人がいる。筆者としては強烈な違和感を覚える。まず、?は疑問を呈する、つまり発言に対してどちらかに不足がある状態、不均衡が発生しており、急いで平静を繕わなければならない。いそがなければ。そうしたストレス反応がまず去来するのだが、事もあろうに、「??」と2つ重ねるのである。疑義を。これはつまり、見た通りハテナの押し付け、相当な力にて疑問を相手に突きつけているのである。回答を得たいというよりも、自身の疑義を宣誓することが先決なのであり、その意味において突きつけられた相手は場の制圧権を一時的に失う。ある種、??はまず相手を拒絶する意思表示とすら感じる。つまり、「キモイ」「ウザイ」という相手の返答を不要とした不快感の提示と同類であるように思われるのである。拒絶しておきながら、実の所はクエスチョン、質問であるために、コミュニケーションとしては自動的に機能する。すなわち、拒絶と回答の要請を同時に果たしているのである。  しかし、「??」利用者の多いこと。勢いで打っているのか、単に、無意識に、他意無く連続させてしまうのかは知る由もないが、一刻も早く根絶させたい。 こうした無意識の攻撃手(受け手になってしまうのが逆に珍しいのかもしれないが…)は、だがしかし、それは職場に溶け込んでいるのであるのだから、ついていけないのも仕方あるまい。

 

つい道が逸れた。また夜になる、眠たい朝が来る。出社、仕事、昼食、仕事、退勤。

つかの間の休息。

前も長々と書いたが―― 平日の夜、休日、そのためにこの人生を続ける必要はあるのかと。いや、生きる義務はあるが、生きる意志はないと。 やりたいことはもちろんあるが、しかしやらなければならない(仕事)ことを受け入れてまで、生き生きとやりたいことに向き合えるのか、と。

心きらめく、ときめくような、時間を忘れて仕事も忘れて没頭してしまうような、そんな趣味は、実は高校生くらいから息を潜めてしまっているのだが、

親の庇護下にあった学生時代、生きる意味がなくても衣食住が保証されていた安寧の時代とは、違うのである。社会人である今。

 

みんな、どうやって生き続けているんだ?何を生きる理由とし、どうやって仕事を受け入れながら生きているんだ?

ナマポ、専業主婦以外の多くの社会人たち。彼彼女らは、その大多数の人間たちは、極めて合理的に、「生きるための、お金を得るための仕事」を選択し全うしているのか?それを是として受け入れられるのはなぜか、、?

 

もちろん、生きるためには金が必要というのは猿でも分かる。しかし、金のためには仕事が必要、なのであれば、では生きる方を諦めよう、という人間がもっといてもおかしくないと思ってしまうのだが……

 

みんな、ちゃんと大人に、理想と現実を受け入れて個々人の日常をつむぐことをよしとしているのか。。

 

私が幼すぎるのか? 心の中では常に、休みたい、好きなことをしたい、仕事はもうしたくない、と思っている。なんだ、私の精神性の問題なのか、、?もう駄々をこねるのはやめて、仕事とお金との関係を理解して、すべて受け入れて、平日は仕事と割り切るしかないのか?

まだ、割り切ることは到底できなそうである。。。