がこの先一生続くのかと思うと、
強烈に萎える。
小さい頃は責任も将来の心配もなく、生活のあらゆることを庇護の下に暮らしていたから、
学校と宿題さえ終われば(あるいは、授業の間にだって)自身ののこころよいことを、めいっぱい楽しむことが出来た。
その楽しみを1日ずつ噛み締めればそれでよかった。
たとえ生死に悩んでも、悩むだけでよく、
たとえその日に何も出来なくても、失うものはなかった
でも、今は。
自分の身は自分で守らなければいけない。
あらゆることを自分でやらなければいけない。
料理 洗濯 掃除 買い物 家事に始まり
仕事だ。仕事。お金を稼ぐために、生きるために仕事を、毎日毎日、平日の毎日、やらなければいけない。
そしてその僅かな間隙、あらゆる、(生活にあたり必須であり、ただ生活を長らえるだけに必要という意味で)非生産的な「仕事」の合間の時間、平日の夜と休日にのみ、自由が与えられる。
しかし、その自由を謳歌するには、精神的な肉体的な余裕がまるで足りない。その自由に浸かる前、浸っている間にも、そういえばアレをやらなければ これの締切いつだったかな 等など、「仕事」のことが頭をもたげる
それは当然だ。なぜなら、この今の人生に、
睡眠時間以上の割合をさいて取り組んでいるのだから。 脳に刷り込まれ、無意識に脳が働き、気付けば仕事に縛り付けられた社会人ができ上がる
駄目だ… 何回考えても、仕事を肯定できない。
仕事は手段、人生を楽しむための。
そしてその楽しみはささやかなものであってもいい。たとえば、美味しいものを食べるとか、ゲームをするとか
その考えでいい。
はずなんだが、やはりそれと引き換えにしている時間、労力が大きすぎる
稼げる有難みを実感できていないのだろうが、 そりゃ、平日ひいてはこの今の人生、この個としての生を捧げているのだから、金は貰えて当然だ(と思ってしまう)
稼いで、その刹那で自身を喜ばせて(しかしもう、昔のように楽しむことは出来ない)、そしてまた仕事して、、、、、、、
一体何になるの? 正直、楽しい時間過ごせない。趣味に熱中できない。だって、この時間が終わったら、また家事と仕事が待っている。。。。。。。。
みんなどうやって折り合いをつけて生きているのか?
本当に気になる。どうして皆健気に生を存続させているのか?社会の構成員として営んでいるのか?
疲れたら休みたい。嫌な仕事はしたくない。
それらを飲み込むからこそお金が貰える。
親類の悲しむ顔は見たくないが、死んでもいいと頻繁に思う。この先ずっとこんな生活なら。いや、こんな生活が確定しているから。
まあ、死ぬ前に、仕事辞めて全財産使って豪遊したいがw
生きる気力ゼロ。でも明日も仕事。数年数十年後も仕事。仕事仕事仕事。
仕事。。。。。。。。。。
人生やめたい