青くてごめんね

書きたいことをね、自由に書きます

結局同じかも。その他大勢の死屍累々。

タイトルの出落ち感。仕事を休んで疑似ニート生活を謳歌しているのですが

やはり「このままじゃ駄目だ」という焦り、

パソコン、ipadスマホのディスプレイの前で、そこにあるかもしれない”何か”、自分だからこそできる、ついに自分が真にやりたいことを

探しているフリして時間稼ぎしてるんです。

 

どう生きたいか?

なぜ生きるのか?

 

この2つの問が即座にごちゃまぜになるので、危険です。何をやりたいか、、を問い出した時。すぐに死が裏側に迫ってくる。(いえ、常に死は隣り合わせなのですが)

 

このままじゃ駄目、にも、かなりの射程があります。リッター4k並の。(スプラトゥーンかぶれ)

・「今この瞬間」このままじゃだめ

・「今日どう過ごすか」という点で

・この一週間、この一ヶ月

・数年、、、人生単位

 

好例としては、丸2年半事務職として働いて、逆に「このままがいい」と感じたことは一瞬もありません。

しかしながら、好きな掃除・料理を気ままにこなし、語尾に音符が付きそうな口調で夫に帰宅の挨拶を投げかける、そして時に小学生時代から進歩していない絵を描き、時にアークナイツをやり、アマプラを見、

なんて、こんな私だけ楽ちんで幸せじゃ駄目なような気もするんです

 

。。。。。

自分で書いておいてすごく不思議だ。。。。

 

なぜ楽で幸せだと”駄目”なのか。。。

内面化された世間体、超自我の我儘な主張が聞こえるようだ。。。

 

ああ、

分かった、今わかった、

一人称のこの私は現状の快を満喫する人生が幸せだけれど、

世間体の私は、直接的に社会貢献を行わず、五体満足な資産としての労働者の身体・時間を社会のために使役していないから、駄目なのだ

 

うーむ、だけれども、

正直、この心身ともに快にどっぷり浸かった日々、脳みそまで蕩けそうなノンストレスな環境において、

もう人生のある種到達点にきたから、これ以上望まない、という考えが頭をもたげる。

つまり、生の執着を手放しそうになるのである。

受験戦争、大学デビュー、就活、全て自身の望みうる結果を手にしてきて、

もう、これ以上何を手に入れようというのか、いや無い

 

もちろん漠然としたやりたいこと、所謂「将来の夢」は油断していると立ち上ってくるけど、

ある種達観したというか、これ以上は逆に不快のほうが増えてしまうじゃないかと思って

20代半ば、まだ何にでもなろうと思えばなれる(と思われている)年代。

その余地、想像を自由に描ける余白を残しておいて、生から離脱すれば、その広大な大地で、あの世でも小躍りをして過ごせるんじゃないかと。

 

つくづく、生きていると可能性・選択肢が狭まる、経験と実感をもって絶たれていく。

何かを得れば、何かを失う。十分に検討する時間はなく、直感やその時々の巡り合わせによって、人生に跨る要素が植え付けられていく。削ぎ落とされていく。

その中で、もし生からの離脱が許されないのであれば、少しでも安定した生活を送りたいと思うのは当然で、

安定、すなわち衣食住、金、、 は正社員として働くことが第一のルートである。

しかし、黄金ルートを歩んでいたところ、危うく自ら生を終えざるを得ないような状況にまで追い込まれたので、休職してこうして今ブログを認めているのである

 

さて、どう生きるか?

 

その努力の方向は間違っていないか?お金に結びつくのか?後悔しないか?

リスクをとらないと、自身の価値観をアップデートするような体験はできない

生きるのを諦めてもいいと思っているなら、死ぬ気でやってみてからでも遅くない、とよく言う。

 

・・・これを書いている間もうっかり眠気に負けて寝落ちした・・

 

一般人が自宅にいながらにして、何ができるのか。

と、すぐ思ってしまうんです。突出した才覚もなく。

 

インターネットには華々しくみえる人ばかりで。

中途半端な一般人、よくいるその他大勢であることを甘んじて受け入れなければならない。悲しいことに

 

いつになく支離滅裂ですみません…