仕事と人生と金と子供のことを考えすぎてもう雁字搦め。
仕事を休んで、戻れるなら堂々と戻って、戻れないなら専業主婦になる。
趣味をお金にできるならそれに邁進する。
という簡単な答えなはず。そしてありがたいことに夫も夢、趣味を追うのを応援してくれている。
「でも」という言葉が出る。仕事を休んだことすら激しく後悔するかもしれない。
毎日仕事は苦しい。自分だけ毎日残業。上長に「切羽詰まっていて厳しい」と相談したら「引き継ぎ上仕方ない」と言われた。
100%年功序列で適当に淡々と仕事をしさえすれば、理不尽な業務分担に違和感を抱かず、その会社のその部署だけで通用するスキル(というよりも手順とか用語)に染まることを肯定すれば、ひとりで十分な給与が得られる。
私には、今の仕事、事務職が向いてなかった。適性がなかった。あれだけ命がけ掴んだ第一志望だったのに。これこそ茶番。
自分を押し殺し、創意工夫を根本から捨てて、昨年の担当者と同じようにやれることだけを至上とする。場の空気を読んで、平和な日常を演出する。誰がやってもいい仕事。
そんな仕事から離れて自由になれる。
「でも」自由になって、イラストを描いて、好きな本を読んで、家事をして
のほほんと、私だけが、現時点では最低限五体満足の20代女が、そんなことをして良いのか?
私だけそんな幸せになって良いのか?人生上がっていいのか?
養い手の夫が「いい」と言ってくれているなら、何が問題なのか。
自分自身の(かつての)理想像、そして自身の超自我、仮想する世間体だろう。いや、理性の自分が少し考えただけでもわかる。
いい年して何夢追ってるの?
専門卒でもない、今暇な時間があるのにやらないことを、時間ができたらやるの?
なんで働かないの?
旦那さんがかわいそう。
親は、、 「〇〇さんところの娘さん、結婚して、そのあと仕事やめてるんだって」「え、なんで?」「さぁ、、、絵が描きたい、とかで、、」
「でも」夢を追うのは自由だ。
夫婦の間で納得しているなら、誰が否定できようか。
一度切りの人生、楽しんだもん勝ち。
この虚像は自分が作り出しているだけ。
「でも」仕事が本当に辛くて………
何回も死を考えて………
「でも」それは元からだ、、 小学生の頃から希死念慮はいつでも傍にあった……
そして、それなら、子供がいれば。
子供がいれば、仕事をしていなくても、理由になる、、まっとうな人間を目指している証拠。社会人として。仕事をやめる理由にもなりうる。仕事を一時休止する正当な理由にも。社会人として子供を産めば、お金がもらえる。予想額、約300万円。
そして、冷静に考えて、子供がつくれる環境・境遇にあるのであれば、社会の一部として生きているかぎり、その社会を存続させるため子供は生むのが責務だ。
親に孫を見せてあげられるのは自分だけだ。
親が、生命を存続させる営為を少なくとも肯定していたから、自分が今ここにいる。
そうであるならば、次なる生命が生まれることも幸福と感じるはず。
「でも」こんな邪な考えて子供を産んで良いのか。
もし子供が、期待する、望む人生を歩んでくれなかったら。
自分自身を肯定できなくて自傷が逃げ道の自分が、自分の子供を愛情をもって育てられるのか。最低でも、独り立ちできるようになる20数年。
仕事で心身のバランスを崩して、夫に優しくできない自分なんかが、親になる資格があるのか。
「でも」仕事で忙しくて茫然自失なのは仕方ない。
夫から身体的な欲求を求められても、生きる気力すら風前の灯火であるのに、応えられる余裕がない。
「でも」私の仕事の辛さを理解してくれて、次なる人生も肯定してくれる夫に、優しくしないのはひどい。
「でも」家事は未だに指示したりお願いしたりしないとやってくれない。
私はもう、自分でやるしか、快適な環境を維持できない。誰もやってくれない。
子育ても、やってくれるのか? 私は子供が苦手だが、では誰がやるのか?やらざるを得ないのか?
かつては寿退社が最もポピュラーで、それが幸せな家庭の形であった。
今は、違う。共働きが是とされて、働けるのに働かない女は甘えている、とみなされかねない。
私もそういう価値観の時代で育ってしまった。就活でも、ライフイベントがあっても続けられそうか、という点は必ず考えていたほどだ。
結局じゃあ、私はどうすればいいんだ。
仕事を続ければ心身が本当に死んで、自殺するかもしれない。
お金は手に入る。
3,4,5,、、、年と経つにつれ洗脳が完了し、全く成長のない職場と仕事にすっかり慣れて、それが心地よくなるかもしれない。そしてお金が手に入る。安心して子育てもできる。資金面において。
仕事をやめたら自由になれる。やりたいことを目指せる。悔いのない人生になるかもしれない。日々勉強、日々成長をして、思わぬ自分に出会えるかもしれない。
新卒チケットを捨てたら、上流家庭にはなれないだろう。凡人が金を稼ぐのは至極困難だ。
世間体なども気になるが、やはりお金の不安だ。
自分を歩んできた道を考えて、
大切に育ててくれた親のことも考えて、
全くそんな気のなかった、意図しなかった発言で夫の心象を悪くして、
うまく伝わらない夫にも腹が立って、自分にも本当に腹が立って、
脚を思いっきり右手で叩いて、それが癖になっているから、同じ場所の痣が消えなくて、
大切に育ててくれた親に、本当に申し訳なくて、申し訳なくて、悲しくて、
涙が出る。頑張って、生きてきたのにな。
何回も何回も本当に人生諦めようとしたけど、踏ん張って、踏ん張れる環境があって、
自分なりに頑張ってきたのにな。
今も理想の自分を、掴んだはずなのに。でも実際に働いたら、駄目だった。向いてなかった。
仕事に就く前に、もっとリアルに考えればよかったのかな。
自分の思い通りに人生を方向づけられていたはずなのに、自分の選択を重ねた先で、結局、こんなことになってしまうなんて。仕事を休むか、死ぬか、という程度の苦しみを味わって、その選択をしなければならない、と思うほどになってしまうなんて。
変な価値観を捨てられれば。仕事と趣味を完全に切り分けて、メリハリをつけた人生を送れれば。私が精神的にもっと強かったら。全く興味もなく、成長もない仕事を、お金のためだと割り切れたら。
ただそれさえできれば。
幼稚で馬鹿馬鹿しくて、涙が出る。何に対してか。
「でも」その先に、思いもよらない楽しい第二の人生が待っているのかもしれない。
この世に果てしなく存在するたった1人、この自分の人生がどうなろうと、その影響範囲なぞたかが知れている。世界は何も変わらない。自分がいなくなった仕事の穴は即座に埋められるだろう。職場で、私の存在は徐々に確かに消えて、資料データで目にする名前だけに終着するだろう。
仕事で死ぬほど悩んで苦しんでいたことも、自分の中ですら、過去の話になるんだろう。
もう結局、どうでもいい………
自分の見たもの、この目に映ったものでしか形作られていない世界では、これ以上考えられない。
正解がない。生きる意味もない。
そしておそらく答えを出す必要もない。
どうすればいいんだ、人生