女の人生をどうするか
普段偏差値ゼロの暴飲暴食雑記しか書いていないのに突然すみません
何を隠そう筆者は休職中で、かつ明日から一週間の入院・手術を受ける身なのである
さらに詳細を記すと、20代半ばにして6cmの子宮筋腫を患い、その切除をするのである
そして、手術を受けると、経膣分娩ではなく帝王切開が確定となるのである。
筆者は既婚であるが子無しである。
客観的に事実を書き連ねると、「へぇ〜」の一言に尽きる。正直、どうでもよすぎる。
例えば赤の他人が上記の自分語りを始めたら、「へぇ〜どうでもいい〜手術受けて産みたきゃ腹割いて産めば?」である。
が、自分事になると話は別である。
社会的・生物学的に、女という人間の生では、子供を産むか、産まないかという分岐が最も大きい別れ道であろう
腹から出るか股から出るか、という違いは副次的に過ぎないが、まぁ、そりゃ股から出したほうが自然ではある
腹を割くと大きな傷がつく。金もかかる。 巷では、経膣分娩信仰もまことしやかに囁かれているようだ。帝王切開でごめんねと。知らんけど。
ただ、この”架空の他者の総意”に弱い。驚くほど、弱い。結婚するまで、子作り自体性欲の権化で穢らわしい、途方も無いギャンブル=子育てなんて以ての外、そんな負債抱えてたまるかDINKS目指してばっちこーい であったのに、
結婚→出産 というレールの眩しさにあてられて、一ヶ月、一週間、一日、と、出産に関する煩悩が脳裏を掠めるスパンが短くなり、
善き新婚さんよろしくたまひよの表紙を愛でるようになり、しかし、20年余り温めてきた子供嫌い・自分嫌い(:自身の遺伝子を残したくない)という価値観の叫びにも板挟みで、
希望か絶望の詰まった腹にうやうやしく手を添えてはにかむ妊婦モデルの目線に居たたまれなさを感じつつ、
「どうすればいいんだ」と、床に転がり、呻吟していた。
で、気絶するほど重い生理に、これは病院に行ったら何かが見つかってしまうに違いないと不吉な予感いやほぼ確信を抱き、
案の定子宮筋腫との診断であった。
そして、子宮筋腫の手術をすると、子宮に負担を掛けすぎるとよくないんで、帝王切開確定であると。
直感的に、こたえた。
あぁ、あの、お腹を痛めて息も絶え絶えに踏ん張り、股から命を放出する、感動の出産シーンの主演にはなれないんだなぁと。
女失格?
というか、無駄に完璧主義の筆者にとって、子供を生む前に…20代半ばで子宮筋腫になるということ自体が、欠陥品の烙印を刻まれた気がしてならない
ともかく手術をして、数ヶ月は避妊ということで。
産めないとなると、焦る。その時に叶わない選択肢が魅力的に映るのは人間の性であろう
本当に、コンプレックスを作るのは簡単である。いつの間にか、街中の子連れに対して、「いいな」 と羨望の感情を寄せるようになり、
子宮筋腫の体たらくが許せなくなり、手術にかかる費用も現実のものとなってきて、
親族や職場の女たちが、結婚する傍から速攻でヤッて育休産休を掻っ攫っていく様を、苦々しく、白々しく、ドス黒い不愉快な感情無しには観察できなくなった
みなさんが、どういう経緯で産むのかは一切知らないが。
もしかしたら、嫁いだ先の鬼姑に圧を掛けられたか、
宗教上、契りを交わしたなら懐妊するまで帰れま10なのか、
私情としては産みたくないけど社会の無言の要請により、止む無く孕んだのか、
何も考えずに、やっと正式にヤり放題だ〜と脳死で愉悦に励んだのか、
知る由もない。
ここまできたら、DINKSなど振りかざしていられない。
というか、無いも同然な自分の人生の目的を、子供という目的に挿げ替えれば、
少なくとも”世間”から後ろ指を指されることはないし、それどころか、約3ヶ月分の休暇と一年のボーナスタイムは確約という美味しすぎる条件つきである
その”世間”からの有形無形の”祝福”を得た彼女たちが羨ましいのだろう。
自分が男だったらここまで強く思わないのだろうか。
とにかく、その寿ぎを享受するステージの数段階前で出鼻を挫かれているので、
指を咥えて、羨望の眼差しを向けるしか無いのだ
なんと哀れな。
子供なんて要らない。と、思いきれなくて悔しい。
幸いにも、親族関係に恵まれているので、その生命のバトンを、義務として果たすべきという使命感がある
しかし、残念ながら、腹にあるのは受精卵ではなく良性の腫瘍である。
なぜ私の子宮に腫瘍があるのか、原因はわからないのだ。
この状況を肯定して捉えることは至難の業だ。6cmの子宮筋腫をその身に宿しても、何も起こらない。特別な手当が受け取れるわけでもなく、高額な治療費を理不尽に負担し、帝王切開を確定させるだけである。
つまり、不幸。
と、なると、もう嫌になってしまう。自分の人生が。何かから、否定された気分で。
妻からママになった女達の中で仕事をするのも嫌だし、子宮筋腫手術を20代で受けたという得も言われぬ劣等感を背負いながら生きるのも嫌だし、
気づけばそのような汚点だらけの自分も嫌だ。
この後、しっかり静養して元気いっぱい復活☆バリバリ頑張ります!となるわけがない。
しかしそうも言っていられない。親でなく夫の脛を齧って堂々と生ぬるく生きていっていい、と思えるほど自信がない。
詰んだ。
親族を残して逝くのは申し訳ないので、今すぐにでも天変地異が起きてくれないとここから抜け出せない。
手術も、その後生きるのも、嫌です。