青くてごめんね

書きたいことをね、自由に書きます

薄気味悪いイメージアップ戦略 #就活

服装についての就活記事に関連して、昨今大企業がこぞって取り組んでいる「自由な就活」への違和感を。

 

化粧品メーカーや服飾系メーカーに多いですが、

あなた色の就活!

就活に自由を!

みたいな感じで、黒ずくめから解放しようという試みを見せ、さも就活生に歩み寄っているポーズによりイメージアップを図ろうとする会社の多いこと、多いこと。。。

 

不気味で仕方ありません。何を今更言っているんだろう。

まず、就活生の味方に立ってます感が強すぎます。偽善的にもほどがある。

解放を標榜している各企業の選考、蓋を開けたら画一的な募集条件であることは容易に想像できます。ESで絞り、適性検査で絞り、ネガティブ要素を持っていたら即弾く。ウン十%売上うpしました!代表して来場者数ウン万人伸ばしました!どの部署でもどの地域でも御社のためならエンヤコラ!

に、違いありません。実態はわかりませんが、合説のブースの熱気を見れば、いかにも就活生が迎合されてる感は察知できます。

これで、昨年度内定者は異色の経歴&超個性的な見た目の人ばかりです!はいデータどーん!と証明してくれるなら、浮ついた「解放」の言葉が真実だったのだと判明しますが。

 

精神が逆なでされるのは、

・今までは当然のように「就活生像」を求めていたのに、その過去には触れずさも昨今の潮流のおかしさに物申す、というスタンス

・就活生たちは日々生真面目に「就活生像」を演じようとしており、実際その姿が求められていることは今までもこれからも変わらないのに、

思いがあれば変えられる!というリベラル派の根性論を押し付けている

 

現状に即して無さ過ぎなんですね。就活生は必死に現実だけを見て夢を持たないよう努めているのに、絵空事を掲げて、それが間違いなく就活生の幸福に貢献すると疑わないような謳い文句が。

今更、茶髪で就活しますか?? スニーカーで面接に臨みますか??

就活生に人気のある大企業であればあるほど、マイナス要素になることは必至ですし、きっと門前払いでしょう。

 

 

就活生を解放する、という姿勢を見せ、結局この時期に企業アピールをしているだけなのです。テンプレの就活生をダシにして、イメージアップ戦略を実行しているだけなのです。

 

結局、服装は選考にあたっての些末な条件の一つですが、その条件に係わり、自由な・個性を主張できる・社会を標榜するのが、現実を無視しており虚しくこだまするのです。

 

 

薄気味悪い広告に神経を逆撫でされず、「就活生」を演じましょう。

服で「個性」を出すのは就活生として間違い

こんにちは20卒です。

コロナが猛威を振るっていますが就活は平然と進行していると思います。ニュースで見ましたが、ほとんどWEB説明会が主流だそうですね。そりゃそうか。。 WEBだと必死にメモを取る姿も、人事にちらっとアピールするための準備した質問も、なかなか効果が実感できず歯痒いでしょうね。ですがこのルールの中で皆やってるわけですから、いつだって機会は均等にあるわけです。

さすがに本選考は実際に会社に足を運ぶのでしょう。そこで初めて会社の雰囲気や人事と顔合わせをすることになります。ディスプレイを介してではなく同じ空間に存在することは、やはり全く違う事態が生じているので、空気に飲まれないよう気を付けたいところです。今まで夏冬インターンや早期選考でどれだけ面接の経験を積んでいるか、より差が出てくるでしょう。そして詳細なイメトレ(面接の流れ:電車に乗る、本社に着く、受付を済ます、待合室で最後の深呼吸、元気に入室、楽しくハキハキ応答、感謝と敬意を示して退室)をして臨んで下さいね。

 

さて、先日街中をうろついている時目についた、就活生の服装についてお小言を申し上げます。

 

間違えた「個性」でアピールしてしまう就活生

大企業のビルが聳え立つ大通り。近くには説明会が開催できるセンターもあり、いかにも就活生らしい人たちが往来していました。

ピチピチの若い子が無理に黒染めをして、黒装束を身に纏い右往左往する姿は異様でもありますが、しかし最早一種の風物詩的な側面もありますね。ああ、就活の時期だなぁと。

 

しかし…彼女たちのコートに、引っかかりました。

中は確かにリクスーの典型例。流行りのスキッパーシャツ、地味の極地の無地黒ジャケット、フリルもタックもないスカート。そこに重ねられるのは、ベージュか濃紺のトレンチコートだと相場は決まっています。

ですが、ある就活生は若者向けファストファッション店で投げ売りされているような、薄ピンクの起毛ロングコート。

またある就活生は、ゴスロリ系スタイルをピリッと辛く締めるような、裾周りにラメの刺繍がシャンデリアの如く煌めく黒のAラインコート。

それ以外はどう考えても就活生なのですが、なぜかコートだけ「個性」 を強烈に主張していました。

 

 

服で個性を主張するのは、就活生として非常に違和感がありますし、言語道断だと思います。

黒髪・黒スーツ・地味なトレンチ・黒靴・黒バッグ

というのが、いわば就活生のドレスコードなのです。我々就活生は、企業に入社するため活動しています。その企業が求めるのは「集団の規範と規則を守った上で活躍できる人物」であることは最低条件として容易に考えられます。入社後であればその規則というのは礼儀やマナーや日頃の言動で示すことができます。では就活生に求められる規則とは?その一つとして上記の服装規定があるでしょう。黒ずくめ、無地のコート。それが就活生像を体現する服装であり、前提として外してはならない部分です。

企業、社会というのは見えない共通意識・規範をいかに汲み取り内面化し、自身の価値観を馴致させていくかというのが課題でありますし、構成員として受け入れられるために飲み込まなければなりません。その第一関門が、就活生にとってのリクスーでしょう。判を押したように大量生産される黒ずくめの「就活生」、その一部になることで、特殊であったあなたは普遍性を手に入れ、「就活」という市場のいち候補者として立場を与えられるのです。よって、その暗黙の了解を理解せず、好き勝手日頃着用しているコートを羽織ってしまうと、就活生というよりただ就活生っぽい服にコート着てる学生、になってしまいます。

 

 

 

もし、金銭的・時間的理由で就活用のコートの準備が間に合わず、やむを得ず防寒のために着てしまった。。というなら、一刻も早く「就活生」になるためコートを購入すれば済む話です。

 

でももし、「皆同じ服だから、自分はコートで個性をアピール♪」というケースであったなら、非常にまずいです。

就活における個性、すなわち「社会人として評価される個々人の特徴・傾向」というのは、あなた自身の経験やスキルなど内面に属するものが大半です。(業界によっては美貌も評価対象でしょう)

一般用語としての個性は「人と違っていること」ですが、この意味だけですと先に述べた社会人としての最低条件――集団の規範と規則を守った上で活躍できる人物――から離れてしまいます。単に人と違うだけでは駄目で、<まず共通の素地が合った上で、差異を発揮する領域も限られている>ことを理解しなければなりません。服装規定というのは、その集団への歩み寄り、規範への同意、を簡単に示すことができる部分なので、守らないという選択肢がないのです。

こうしたことを考えずに、色とりどりの装飾コートを手にとってしまうと、内定は遠ざかるに違いありません。

 

実際に、本選考が解禁され大手企業の選考が進んでいくごとに、

周囲の就活生は面白いほど同じ服になっていきました。インターンではおよよ?という色のトレンチも見かけましたが、選考に残ると純度が増す感覚を覚えました。

 

個性を履き違えず、企業と社会への恭順を示すためにも、「就活生」スタイルを守りましょう。

銭湯〜場と服装の関係〜♨

閑話休題。就活ブログの様相を呈して来ましたが、どうしても記憶が薄れる前に書きたいので突然の日常記事です。すみません。

(スターを付けて下さったり、読者登録して下さってる方々本当にありがとうございます。正直すごく嬉しいです)

 

 

♨♨♨

 

 

巷でサウナが流行っている。なんでも、体を温め汗を流すことで新陳代謝アップ、自律神経を整え体の巡りを良くし、冷え症改善には勿論美肌効果もあるのだとか。。

万年、手足の冷えを感じており体中浮腫体質、かつ毛穴には黒ずみだらけという欠陥の塊であるこの身体、もしかして自分に足りないものはサウナなのでは?という確信を得、すぐに近場のサウナを探し突撃したのであります。そもそも銭湯に必要な持ち物すら危ういほど未熟者で、勿論「初心者 サウナ 心得」でグーグル先生の叡智に授かって向かいましたよ。ええ。初心者は熱が比較的弱い下段がよいということや、座るものであるから尻に敷くタオルはマナーとして持つべきであるということも、しっかりチェック致しました。

 

秘密基地に向かうような期待と不安が綯い交ぜになった心持ちで向かった先は銭湯。おお。こんな所に。。大通りから一本入ったすぐの所にありました。

玄関では一足先に湯浴みを満喫した客が、心做しか満足げな表情で銭湯を後にするじゃぁありませんか。私もきっと一時間後、あんな緩んだ口角で颯爽と自動ドアーを抜けていくのだわ。

 

しかし、仕組みが分からなすぎる。チケットを払うのか、先に荷物を置くのか、いや男女別の湯の近くで支払いをするのか? 挙動不審にチケット売り場を右往左往していても、受付の妙齢女性は一切関与する素振りを見せず。恐る恐る、電子マネー支払いはどこで行えば良いのか下手に出て聞くと「どの?」『えっっ、と、、、?』「電子マネーっていっても、ホラ、色々あるでしょう? どれですか?」 謎の不機嫌さを押し付けられそんなに電子マネーを嫌がらなくても、と思いながらも、なんとかチケット支払いを済ませ、脱衣所へ。

 

あぁ、久々の感覚。。。飛び込んでくるのは他者の裸体。日常と非日常の境目がここ、脱衣所なのである。同世代の人との合宿等であれば、もしかしたら下着に手をかける瞬間の躊躇いがあるかもしれない(筆者は大いにそうであった)が、老いも若いもごった煮、赤の他人だらけのこの空間では、私自身の裸に羞恥心を覚えるのは他でもない私だけなのである。つまり自他の間の関係性は希薄であり、そこに服を脱ぐ―脱がないという着脱の境界線は有って無いようなものなのである。

そう考えていると、早くサウナーデビューしたいという気持ちが高まってきて、恥じらいなど感じるのも惜しく、バタバタと浴場へ。

 

 

そこからはまぁ、久々の銭湯を体験できてよかったというところ。コロナ流行が日夜叫ばれる中、接触感染待ったなし、いや感染症などクソくらえという衛生環境である。何しろ、裸体である。我々を守るものは何もない。だが、誰がどういうタイミングで腰掛けたか分からない露天風呂近くの椅子、汗か何かが染み込んだサウナの敷タオル、それらの何が怖いというのだろうか?いや、もう何も怖くない。

 

 

しかし、当然のごとく裸である。私も裸、隣の子供連れの母親も裸、その奥の年月の蓄積を感じる妙齢女性も裸、その向かいで静かに石鹸を泡立てているうら若い乙女も裸、やはり私も裸である。風呂に浸かり、目元にタオルを当てて脱力している裸体。サウナでは、皆が無心になり体温上昇と血流循環を裸体で受け止めている。裸体。顔面の下、服に隠されている裸体。肩。腕。乳房。腹。股間。脚。しかし、今更のように、私のようにこの裸体の人間で満たされた空間の奇異性に価値観の捉え直しを迫られている人は他にいないようであるし、彼女たちは恐らく日常生活の中に銭湯が組み込まれているのであろう。

 

しまった、脇毛の剃り残しがあった…

 

 

♨♨♨

 

 

裸が恥ずかしければ服を着る。しかし、身体自体へのアプローチが主眼である浴場において、服は不要な要素であるというより脱ぐべきものである。ここでは、服を着ていることがおかしいのである。

しかし、ひとたび浴場から抜け出し脱衣所へ舞い戻り、その先の休憩スペースまで強行突破し、さらに銭湯の出入り口から先の舗装された道へ裸体で歩を進めてしまうと、それは正気の沙汰ではなく非常識であり犯罪行為である。我々は気付かなければならない。<脱衣所で服を脱ぎ、そして必ず、服を着て元の世界へ戻るように>

 

――と、いうことを露天風呂近くのベンチで、無理に元を取るため、そして華々しいサウナーデビューを飾るため入った3度目のサウナの、過剰な熱を冷ますべく動悸を鎮めている最中に考えた。

浴場で服を着ていないのは正しい。電車内で服を着ていないとおかしい。浴場で服を着ていたらおかしい。ここにおけるおかしい、とはルール違反に値する。

脱衣所で着脱の境目の脆弱性に気付いたことも踏まえると、我々は両者を容易に行き来できるわけであるが、しかし、その選択を誤るわけにはいかないのである。プライドと世間体をかけて。そして、我々は当然のように正しく選択を下し、然るべき時に服を着るし、その逆もまた然り。

我々は、他者と生きる中で生じる倫理規範、道徳、社会的通念を無意識に察知して、それを守ることをストレスに感じず、むしろ守っていることすら忘れて、当然のように社会的人間として生を全うしている。

 

 

のだと、気付かされた2時間であった。

 

 

 

のぼせた…

 

 

 

 

P.S.サウナ初心者にも関わらず、スペースが空いていなかったという単純な理由で最上段での修行を強いられた結果(まぁ元を取ろうと3度も行ったのがよくないのだが)、その日強烈な胃痛に襲われ(運動不足な筆者の身体にとってはかなりの負担だった様子)、悶ながら眠った。そして悪夢を見た。

サウナー適性は無に等しいようだ。