当時の過去記事供養。夫の帰りを駅前で待っていた時スマホで書いた記憶がある。 @2022/10/06
2021-12-10 07:50:06 (300日前)
最近馬鹿になってきた気がする。
どういう種類の馬鹿かと、いうと、思考力、それは深いところの思索…物事を多面的にとらえ、自身の意見を論拠を交えて導く、、といったような、
考える力、が端的に目減りしてきた。
その理由は単純明快、自分自身の意見を求められる機会が無いからである。
職場で発言する機会が無いのか?といえばそうではない。日々無数の質問が飛び交い、チャットボットよろしく同じ答えを過去のメールからコピペしている。事足りない場合には関係者に事実確認をした上で論拠を提示しつつビジネスメールにまとめる。
しかしこの時の自分は、「ある部署の一員」であり、「私自身」ではない。ある部の職員は、部内の内規や会社の規則に基づきどう考えるか。どう意見するか。というところである。つまり一定の判断基準、広義での画一化された価値観を備えた人格なのである。私個人の―二十余年の私的な経験に基づく―意見など不要なのである。
さて、このときに、その一員は私である必要があるだろうか?
その答えももちろん不要である。
懸命に、まさしく命がけと称しても過言ではないほど、1年半かけて(意識的に行動していた期間も含めるのであれば大学1年から4年の夏まで)掴み取った第一志望への内定。努力が報われ、全てが思い通りになった充足感。同族の死屍累々を踏み越え辿り着いた場所。
そこが、この有様である。企業理解は進んでいたはずだ。OB訪問も複数回行い、人生設計に仕事を組み込んだ上で面接に臨んだ。今の時代女であっても仕事を続けるのは大前提であるし、仕事とプライベートを切り替えてうまく日常を回していけると思っていた。
当時の読みが甘かったのだろうか。何とかなると思っていたし、「何とかする」と思っていた。
実際に今も何とかしている。が、
ここで下書きは終わっている…