青くてごめんね

書きたいことをね、自由に書きます

休職した事務職員の現状 24時間自分でいられるささやかな喜び

ややあって休職まで漕ぎ着けた、現状を報告する。

※まるで胡散臭いスピリチュアル寄りの記事の見出しだが、抽象的な表し方をするとこうなってしまうことをお許し頂きたい。

 

・24時間が自分の時間になる。

朝起きて、夜寝るまでの時間すべてが自分のものになった。すべて、自分の思い通り。ストレッチしてもいい。料理してもいい。ネットサーフィンしてもいい。

自分自身が選び取り、感想をいだきながら、意思をもって進めていける。今、この私が生きている。という実感。

過去の独白で何度となく記述していた、「仕事のために眠り、食事をする虚しさ」が無くなった。「自分の時間のために眠り、時には気ままに料理をする、そして好きなように活動する」のである。

休日にうまく過ごせないと、「貴重な48時間を無駄にしてしまった」という罪悪感があったが、「また明日やれればいいや」という余裕に転じた。総じて、物事が肯定的に捉えられることに繋がる。

 

・心が開放される。

上記の過ごし方だと通常時の休日と変わらない気もするが(笑)、しかし、「平日に挟まれた休日」ではないのだ。心持ちがまるで違う。

些細な行動―食後、お風呂上がり、午後5時を告げる町のチャイムを聞いた時など時間の遷移を感じさせるような―が、「ああ、また月曜日から仕事だ」という絶望のトリガーとして、心に不快なざわめきを起こしていた。むしろ常に、通奏低音のごとく仕事は頭から離れなかった。思考回路が、心のスペースが、脳内の容量が、常に「平日の仕事」というノイズに占領されていた。

それが、仕事を心から取り去ってみたら、なんと気持ちの良いことか。抑圧されていた部分が解放され、思うままに伸びてゆく。まるで違う自分になったかのよう。広々とした空間で息を吸う。この2年半の抑圧を一気に捨て去ることはできないので、徐々に強張っていた思考を解していきたい。いかに枷になっていたか。言語化される前、心象に立ち上るマイナスの・ネガティブな・重苦しい情動が、「仕事はないからゆっくりできるよ」という天の恵みのような事実によって霧消する。まさに霧が晴れる。その瞬間自体が心地いい。「ああ、仕事がつらい」と感じてきた分だけ、浄化のチャンスがある。

 

趣味にワクワクする気持ち、その感覚自体忘れかけてしまっていたが、思い出してきた。ワクワク「してもいい」のだ。「この道楽に興じたあとは、また仕事だ。切り替えるのは辛い。この辛さを痛感することが決定づけられているなら、楽しむこと自体がマイナスになってしまう」という悲劇から脱出できるのだ。

 

とはいえ、現状では解放された時間を気の向くままに過ごし(もっぱらネットサーフィンと料理)、徹底的に自分を甘やかしている…笑 それもまた一興である。

そう思えること自体が幸せである。