青くてごめんね

書きたいことをね、自由に書きます

生きてるとしんどいことばっか

気持ちにも体調にも、個人差があり、波があるが

今まさに下降の一途をたどっていて、どんどん、じっくり、波に溺れるような

きっかけは些細なことでも、嫌なこと、コンプレックスを刺激されること、

自分が無能であると実感させられること

それらが少しずつ重なると、瘡蓋がはがされて全身に毒が回るような感じで

すべてを自責に変換させて捉えてしまう

きまって 人生 つまらない 人生 つらい 死にたい

というワードで検索する。もちろん解決しないのは知っている

どう足掻いても結局この歪んだ性格の自分、この醜い体、この見飽きた不細工な顔

職場で新人らしく努めるのに疲れた、すぐに 人間関係 疲れた で調べたが、

曰く 素の自分をちょっとずつ出して 快適なラインを見定めるといいそうな

はて 素の自分とは。。。

素の というのを、例えば他者を気にしない つまり1人きりの時の自分 と解釈すると

自分に甘く、自分が嫌いで、他者との交流はなるべく避けたくて、ただ傷つかないよう自衛しながら無為に時間を過ごす

そんな自分が出てくるが、 しかしこんな素 を誰も求めていないのは火を見るより明らか

適当に力を抜き、7割くらいで通常運転させるのがいいのはわかっているが、

だがこの無能な自分が、他の人の真似をして7割で生きていたら、

生産性が2割くらい、いや1割にも満たないだろう Twitterで何かをつぶやく ということすら 臆病でできない 

顔がかわいくないから 人より努力しなければならないのは 分かっている。。。

単純作業すら成果を出せず 親に甘えて生き 趣味すら気力が起きず

ここ二三日 あの遊具、コーヒーカップに乗った15秒後のような酔いの頭痛がある

 

しかし変わらずのうのうと、自分を責めながら、自分を非難し卑下しながら、勝手にしんどい人生を歩むのだが

私は劣等感が、本当に強い 自負している。これだけは 劣等感、劣っている感情は、そもそも自分が力を入れていない点においては、感じることさえ無駄なのだが

争わずとも負けている点に関しても、いつからか劣等感を覚えるようになった

だから、例えば、、 感情を吐き出すためにブログを書こうと思う、

そうしてダッシュボードへアクセスすると、ふと、「こんなブログもあります」という欄が見える、

ついクリックして、同じような心情を吐露するブログを読む、するとそのブログは、開設間もない にも関わらず、こうして取り上げられて、しかも読者もいる

そんなことに、ブログという場すら奪われたように感じる そこにも厳然と競争はある 順位付けもある

また駄目だ、私は。他者と比べて秀でた点がなければ何の価値もない。

 

ブログの端がなぜか、サイドバーに隠れるという不具合が発生し、問い合わせたが、

「ご自身でカスタマイズしたブログについては対応外」

と、非常にドライな返信が届き、 もう、なにかぷつりと切れた気持ちである

ブログテーマデザインのテンプレサイトが用意されているにもかかわらず、

そこに上がっている非公式テーマを適用すると、門前払いなのである。不具合が起きても

泣く泣く、違うデザインに変更した。まだしっくりこない。

こういうことも、知識があれば、解決できるのかもしれないが

無能であるため泣き寝入りするしかない。どこへ行っても私は従者である。

 

せめて過去を忘れたい、今のことだけ考えていたい、

そう思うたびに過去が蘇る 本当にもう忘れてしまいたい、でも

そう強く念じた夜にはきまって、過去の夢を見る

まだ、23年程度しか生きていないのに、過去に支配されている、大部分が

生きていると、できることより、できないことの多さに

より気づいてしまうと思うのだが、

できると思っていたことが、どうやら実現不能でありそうなことに

気づいてしまうと思うのだが、

体も衰え気力も減っていき、そんな未来で、楽しく生きていけるとは、

到底思えない。

せめて、せめてまだ若くて「きれい」(鮮度として)なうちにポーンと消えればいい。何かが

とりあえず今、未来への期待や希望はない。ひたすら、仕事をこなし、金を稼ぎ、衣食住をまわしていく

その最中にも、やはり私自身が私を苦しめるのだろうし、それは経験を重ねるごとにより勢いを、厚みを増すのであろうし

つまりは人生も下降の一途なのだ。

信仰でもしておけばよかった。何も信じられるものはない。信じられるのは、この価値のない私の人生が縷縷と続いていくということだけである