青くてごめんね

書きたいことをね、自由に書きます

ブサイク という 病 について

皆さん、気付いてしまったんですが

ブサイクは障害です。

 

 

学生の頃、集合写真を撮りましたよね。

集合写真なんて大体、自分を確認して、友達の顔を見て、それで終わりですけど

ほら、ちょっと意地悪な気持ちになって、ブサイクな子に注意を払ったりしませんでした?

その中に、顔のやたら大きいブスいませんでした?隣の子と比べると、ゆうに倍くらいはありそうな。やたらと表面積が大きくて、肌色部分が目立ってる、哀れなブス。

それ、私です。

 

顔が大きい。

物心ついた時から、写真が苦手でした。なぜなら、写真写りが悪いから。

いつも鏡で見てるのと違う。なんか、劣化してる。

というか、

顔が大きい。

遠く離して写真を見てみる。客観的に、大きさを見比べてみる。あ、ああ、やっぱり大きい。大きすぎる。

顔の大きさに気付いてしまった頃から、外見コンプレックスはじわじわと私を蝕んでゆきました。

集合写真は今でも、苦手です。絶対、ぜったいに、ぜったいに、私が一番大きいから。私が一番、劣っているから。

 

顔が大きいのは本当に救いようがない。大規模な顔面工事をして、後遺症の恐怖に怯えながら生きるほか道はありません。

そうしないと、ずっと、一生、死ぬまでこの糞でかい顔です。

街中でふと、映る自分の顔。駄目だ、大きすぎる。

目は勿論、小さいです。豆粒のよう。精一杯表情を作っても、素材がひどいので、伝わりません。にっこり満面の笑みを浮かべると目が小さすぎて、まぶたに埋もれて無くなります。

 

帰り道、すれ違う人の顔、顔を合わせるのがこわい。

あっ、今すれ違った人、美人だな、あの顔で一生過ごすんだ…いいな…

私はなんで、そっち側じゃなかったの?

 

 

ブサイクは障害です

ここで、わかったことがあります。ブサイクは、障害だと。

生来のものである、日常生活に支障がある。周囲の反応が気になる。引け目を感じて生きなければならない。もしかして、他人に「可哀想」と同情という名の見下しを受けているかもしれない。治療法はあるが、完治するかは分からない。

人生を、マイナス地点から始めなければならないー

 

元々、なのに。私はただ、生まれ育ち、自我を持っただけなのに。

そうしたら、「そうじゃない側」でした。

ちゃんちゃん。

 

 

一生、この、生まれ持った障害を引きずるのでしょうか。

自分のせいではないのに、自分のこととして引き受け、涙を堪えながら、この社会を生き抜かなければならないのでしょうか。

 

私は悪くない。

私は悪くない!!!

 

なのに、ブサイクなのは私です。

 

 

 

誰も救ってくれない障害、それがブサイクです。