青くてごめんね

書きたいことをね、自由に書きます

最悪最低の人間だから消えたい

仕事遅い、冷徹に仕事をすすめられない、感情と思考が止められない、無駄に考えすぎてしまう、本当に考えすぎてしまう

嫌な、怖い、傷ついたシーンを何回も何回も脳内で繰り返してしまう。傷つきたくない。弱い人間。でも、

思わぬ言葉で身内を傷つけたのは自分自身。

こんなクソ人間、二度と言葉を発しないようにしておかないといけない 全くその気はないのに 

親に申し訳ない、不自由なく社会人にさせてくれたのに

こんな人間になってしまって、申し訳ない。

 

どんどん、生きてると、できないこと、怖いこと、うまくいかなかったこと、失敗したこと、嫌なこと、ばかり増えていく。すべての人生の分岐にどんどん✕マークが増えていく。どんどん嫌な思い出ばかりが増えていく。幸せなことも沢山あるはずなのに、失敗ばかりが蓄積する。何度も何度も脳内で繰り返して、消えなくなる。✕が。

生きてると、嫌なことばかり増える。私はあれができなかった。あのとき失敗した。

 

もう耐えられない。

もういい。もう生きていたくない。これ以上みじめな記憶で上書きしたくない。

逆に、もう満足した。この人生ではやりたいことをもう達成した。これ以上望める人生じゃない、元々

 

領分を越えて生きてるからどんどんマイナスに転じるんだ。

死にたい。消えたい。終わりにしたい。

誰も悲しませずに死にたい。

もう十分。

 

微妙な楽しみでごまかしてはいけない。もう終わりにしたい。

【運命の矯正歯科探し編】インビザライン矯正日記

かれこれインビザライン歴も4ヶ月ほどになった。今や鏡も見ず

あっという間に本体とゴムを着脱しているし、逆にアライナーしてないと歯がスースーして不安になる程度にはアライナーに慣れてきた。これは誠に、驚きである。

治療方針として奥から順に整えていくそうで、目に見えた進展はあまりないが、正しい方向に導かれているという安心感がある。

現状の難点は、<①残業中に軽食が取れずに空腹で気絶しそうになること、②料理中味見ができないこと、③外食時に真っ先にトイレを探す必要があること>、、、である、、 ①は本当に深刻で、同僚が気を利かせて一口菓子を恵んでくれても、空っぽの胃が唸ろうとも、その場で口にすることができないのである。まさに苦行!!!!!南無阿弥!!!

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さて、現状は置いておき、

今回は病院探しを振り返りたい。

 

歯科選びの条件とは

歯列矯正において病院探しは運命、人生を左右すると言っても過言ではない。ドクターの実力がすべての世界である。それでいて、その腕前は途方も無い金と時間を費やした先に評価が決まる。個々人によって異なる口内環境、似たような事例の再現性が100%とも勿論言い切れない。もう、これは痛快なまでの博打である。

それでいて、矯正では数年間に渡って定期的に通院する必要がある。ドクターのみならず、病院全体の雰囲気・スタッフの人柄も良いに越したことはない。かつ、仕事をしながらストレス無く通える距離・診療時間であることが望ましく、予約もコンスタントに取れることが条件だ。加えて、料金設定も他院と比べ高額すぎないかチェックする必要がある。更には、希望の施術に対応しているか、という根本的な問題もある。

まとめると、矯正歯科選びでは以下の点を吟味しなければならない。

  • ドクター
    • 学歴・経歴
    • 症例
  • 病院自体
    • 施術の種類
    • 料金体系
    • 自宅からのアクセス
    • 診療時間
    • 次回予約の取りやすさ
    • 院内の雰囲気、清潔感
    • スタッフの人柄

なんという……恐ろしく不確定で茫洋とした作業であろうか、、、、運命の病院を探すなど、、、

今まで、床矯正→ワイヤー矯正の経験がある筆者は、人生最後の矯正とするべく、

ネットで調べられる限りの情報を収集した。しかし、上記を満たす病院が見つかるようで見つからず、HP上の情報のみで判断しきれない部分もあり、

もう、諦めようかとすら思った。「お金は出すから、ただ歯並びをきれいにしたいだけなの」と、PC画面を見ながら涙した時間も少なくない。(本当に)

そして、限りある土日と休暇を使い4つの病院へ足を運んだ。これとは別に、相談カウンセリング申し込みをしたものの、その予約すら3ヶ月待ち・平日しか空いていないため諦めた医院が1件あった。

なお、筆者は絶対条件として「”矯正”歯科」であること、「ドクターが矯正歯科学会の認定医以上であること」を設定していた。前者については、一般歯科でも矯正は行えてしまうということから、経験値の極めて浅いドクターにあたる可能性を排除したかった。後者は、この学会の正当性は一般人にはわかりようもないものの、一定の評価制度を持ち合わせていることは確かであり、その中身がなんであれ、やはり肩書があるかないかで言えばあるに越したことはない。

 

カウンセリング前:希望の施術

自身の治療の希望としては、

・とにかく今度こそ納得の行く歯並びにしたい

・それであれば、抜歯も致し方ないとは思う

・しかし、3度目の矯正でそこまで大々的に動的治療をするのも正直不安

・表側矯正は何としても、避けたい。

というところから、裏側矯正をメインに考えていた。カウンセリングでもそのように話した。

主訴としては、上下前歯の捻れ・突出感。正中から向かって左2番目が日に日に斜め前へ飛び出していくのがまじで辛かった。そして、捻れた歯を無意識に隠そうとしているのか、しゃべるときの口元が歪んでいるのも大変気になった。

 

実際にカウンセリングを受けた結果

驚いたこと:これは本当に心の底からの驚きであったが、

どの病院でも、揃って「きれいに並んでいると思う」と言われた。

こ・コレが???!!!矯正の見る影もないこの小臼歯の捻転が?!!

過去の矯正が失敗したからこそ、3度目の正直に臨むことになっているのだと本当に信じていたのだが、

奥歯の噛み合わせも含めて、やることはきちんとやってある、とのこと。レントゲン写真をもとに説明もしてもらった。

おぉ。。。。。 なんと、、、、。。 今までやったことは無駄じゃなかったんだ、、濡れ衣を着せてしまってすみませんでした、過去のドクター達

 

そして、同じ主訴であっても提案された治療は様々であったのも興味深い。

A:抜歯ありきの上下表側矯正。「裏側矯正は時間も費用もかかるし、メリットがない」とかなり強調された。

B:抜歯ありきのハーフリンガル(上裏・下表)

C:非抜歯のフルリンガル

各医院で対応可能な治療がそもそも違ったり、ドクターの信念というかポリシーも含まれているだろう。ついでに、無料相談でセファロ(3Dレントゲン)までしてくれるところと、問診だけのところ、という大きな違いもあった。

そんでもって、料金体系も本当に色々。検査料、診断料、調整料、装置代、抜歯費用、、、、、装置代にコミコミだったり、都度かかったり。もう、1000円・2000円の違いは可愛く見えてくる。数十万が一気に変わってくる世界。めまいがする。ブラケットをクリアにしたい。+50000円。抜歯と非抜歯。100万と80万、治療期間は1〜2年の差。部分矯正。上だけ、下だけ。もし転院が必要になったら、、、支払方法は、、、開始するとした時のスケジュールは、、、、、

さっきの病院、印象良かったけど、表側矯正は絶対嫌だし……その前のは、ドクターの人柄と実績は申し分無しだけど、受付の対応があまりに雑だし大人気で予約取りづらそうだった……先週行ったところは、どういう治療になるかは3万払って精密検査しないと分からないって言ってたし……カウンセリングで詰めて聞いた時曖昧な回答だったな……その前のは、ずっと通える距離か微妙だったし……

 

、、、、、、、、、、、、、、

う、

うわあああああああああああああああああああ

 

……………

 

 

もう、、、、、、、、、、、、、無理、、、、、、、

もう、、、、、、、、、、、、いや、、、、無理、、、、、、、

もう、今の歯で生きるしかない、この歯で満足すればそれで済む話、、、、、日常生活に支障はないんだし、、、、、、、、

もう、諦めよう……… こんな、途方も無い金と時間を費やすことの判断なんて、無理だよ、、、、、、、、、、、、、、、

 

そして、決断

実は、あまりに歯科選びに難航を極めたことと、あまりに住環境に問題を抱えていた(騒音トラブル。詳しくは https://aokute-gomenne.hatenablog.com/entry/2021/07/04/130004 などをご参照ください)ことから、

しばらく矯正から距離を置いていた。無事に新居が決まり、心身にも余裕が生まれたため

以前のリサーチで目にしたことのある矯正歯科へカウンセリング予約をした。偶然、新居から最寄り駅の間、ほぼ目と鼻の先にあったのだ。

電話受付時から、感じの良さが非常に印象的だった。院内もリラックスできる雰囲気で、清潔感がある。当日夫婦で伺うと、(若干不明瞭な説明はあったが)かなり親身に話をしてくれた。今までの医院ではなかった、

D:非抜歯のインビザライン の選択肢を挙げてくれたのも目からウロコだった。

「もしかして、ここいいかも?」と。

 

もしかして、が確信に変わっていったのは、とことん質問に答えてくれたこと、何度訪問しても抜群に院内の雰囲気がよかったこと。

ご夫婦がドクターで、それぞれインビザライン・ワイヤー矯正の経験者でもあることが安心できあた。HP上では症例0件(なぜ???!!!)でしたが無料相談時に画像も見せてもらい、納得。自身がワイヤーかインビザラインか、インビザラインでも簡易版か完全版か(値段と期間が1.9倍くらいになる)でとことん悩み、

仕事帰りに突然来院してもドクターご本人が時間を作ってくれて不安を解消できたこと、が後押しとなった。

 

そして、完全版(コンプリヘンシブパッケージ)のインビザラインを選択した。

何も大切にできない すべての板挟み

仕事と人生と金と子供のことを考えすぎてもう雁字搦め。

仕事を休んで、戻れるなら堂々と戻って、戻れないなら専業主婦になる。

趣味をお金にできるならそれに邁進する。

という簡単な答えなはず。そしてありがたいことに夫も夢、趣味を追うのを応援してくれている。

 

「でも」という言葉が出る。仕事を休んだことすら激しく後悔するかもしれない。

毎日仕事は苦しい。自分だけ毎日残業。上長に「切羽詰まっていて厳しい」と相談したら「引き継ぎ上仕方ない」と言われた。

100%年功序列で適当に淡々と仕事をしさえすれば、理不尽な業務分担に違和感を抱かず、その会社のその部署だけで通用するスキル(というよりも手順とか用語)に染まることを肯定すれば、ひとりで十分な給与が得られる。

私には、今の仕事、事務職が向いてなかった。適性がなかった。あれだけ命がけ掴んだ第一志望だったのに。これこそ茶番。

自分を押し殺し、創意工夫を根本から捨てて、昨年の担当者と同じようにやれることだけを至上とする。場の空気を読んで、平和な日常を演出する。誰がやってもいい仕事。

 

そんな仕事から離れて自由になれる。

「でも」自由になって、イラストを描いて、好きな本を読んで、家事をして

のほほんと、私だけが、現時点では最低限五体満足の20代女が、そんなことをして良いのか?

私だけそんな幸せになって良いのか?人生上がっていいのか?

養い手の夫が「いい」と言ってくれているなら、何が問題なのか。

自分自身の(かつての)理想像、そして自身の超自我、仮想する世間体だろう。いや、理性の自分が少し考えただけでもわかる。

いい年して何夢追ってるの?

専門卒でもない、今暇な時間があるのにやらないことを、時間ができたらやるの?

なんで働かないの?

旦那さんがかわいそう。

親は、、 「〇〇さんところの娘さん、結婚して、そのあと仕事やめてるんだって」「え、なんで?」「さぁ、、、絵が描きたい、とかで、、」

 

「でも」夢を追うのは自由だ。

夫婦の間で納得しているなら、誰が否定できようか。

一度切りの人生、楽しんだもん勝ち。

この虚像は自分が作り出しているだけ。

 

「でも」仕事が本当に辛くて………

何回も死を考えて……… 

「でも」それは元からだ、、 小学生の頃から希死念慮はいつでも傍にあった……

 

そして、それなら、子供がいれば。

子供がいれば、仕事をしていなくても、理由になる、、まっとうな人間を目指している証拠。社会人として。仕事をやめる理由にもなりうる。仕事を一時休止する正当な理由にも。社会人として子供を産めば、お金がもらえる。予想額、約300万円。

そして、冷静に考えて、子供がつくれる環境・境遇にあるのであれば、社会の一部として生きているかぎり、その社会を存続させるため子供は生むのが責務だ。

親に孫を見せてあげられるのは自分だけだ。

親が、生命を存続させる営為を少なくとも肯定していたから、自分が今ここにいる。

そうであるならば、次なる生命が生まれることも幸福と感じるはず。

 

「でも」こんな邪な考えて子供を産んで良いのか。

もし子供が、期待する、望む人生を歩んでくれなかったら。

自分自身を肯定できなくて自傷が逃げ道の自分が、自分の子供を愛情をもって育てられるのか。最低でも、独り立ちできるようになる20数年。

仕事で心身のバランスを崩して、夫に優しくできない自分なんかが、親になる資格があるのか。

 

「でも」仕事で忙しくて茫然自失なのは仕方ない。

夫から身体的な欲求を求められても、生きる気力すら風前の灯火であるのに、応えられる余裕がない。

 

「でも」私の仕事の辛さを理解してくれて、次なる人生も肯定してくれる夫に、優しくしないのはひどい。

 

「でも」家事は未だに指示したりお願いしたりしないとやってくれない。

私はもう、自分でやるしか、快適な環境を維持できない。誰もやってくれない。

子育ても、やってくれるのか? 私は子供が苦手だが、では誰がやるのか?やらざるを得ないのか?

 

かつては寿退社が最もポピュラーで、それが幸せな家庭の形であった。

今は、違う。共働きが是とされて、働けるのに働かない女は甘えている、とみなされかねない。

私もそういう価値観の時代で育ってしまった。就活でも、ライフイベントがあっても続けられそうか、という点は必ず考えていたほどだ。

 

 

 

結局じゃあ、私はどうすればいいんだ。

仕事を続ければ心身が本当に死んで、自殺するかもしれない。

お金は手に入る。

3,4,5,、、、年と経つにつれ洗脳が完了し、全く成長のない職場と仕事にすっかり慣れて、それが心地よくなるかもしれない。そしてお金が手に入る。安心して子育てもできる。資金面において。

仕事をやめたら自由になれる。やりたいことを目指せる。悔いのない人生になるかもしれない。日々勉強、日々成長をして、思わぬ自分に出会えるかもしれない。

新卒チケットを捨てたら、上流家庭にはなれないだろう。凡人が金を稼ぐのは至極困難だ。

世間体なども気になるが、やはりお金の不安だ。

 

自分を歩んできた道を考えて、

大切に育ててくれた親のことも考えて、

全くそんな気のなかった、意図しなかった発言で夫の心象を悪くして、

うまく伝わらない夫にも腹が立って、自分にも本当に腹が立って、

脚を思いっきり右手で叩いて、それが癖になっているから、同じ場所の痣が消えなくて、

大切に育ててくれた親に、本当に申し訳なくて、申し訳なくて、悲しくて、

涙が出る。頑張って、生きてきたのにな。

 

何回も何回も本当に人生諦めようとしたけど、踏ん張って、踏ん張れる環境があって、

自分なりに頑張ってきたのにな。

 

今も理想の自分を、掴んだはずなのに。でも実際に働いたら、駄目だった。向いてなかった。

仕事に就く前に、もっとリアルに考えればよかったのかな。

 

自分の思い通りに人生を方向づけられていたはずなのに、自分の選択を重ねた先で、結局、こんなことになってしまうなんて。仕事を休むか、死ぬか、という程度の苦しみを味わって、その選択をしなければならない、と思うほどになってしまうなんて。

 

変な価値観を捨てられれば。仕事と趣味を完全に切り分けて、メリハリをつけた人生を送れれば。私が精神的にもっと強かったら。全く興味もなく、成長もない仕事を、お金のためだと割り切れたら。

ただそれさえできれば。

 

幼稚で馬鹿馬鹿しくて、涙が出る。何に対してか。

 

「でも」その先に、思いもよらない楽しい第二の人生が待っているのかもしれない。

 

この世に果てしなく存在するたった1人、この自分の人生がどうなろうと、その影響範囲なぞたかが知れている。世界は何も変わらない。自分がいなくなった仕事の穴は即座に埋められるだろう。職場で、私の存在は徐々に確かに消えて、資料データで目にする名前だけに終着するだろう。

 

仕事で死ぬほど悩んで苦しんでいたことも、自分の中ですら、過去の話になるんだろう。

 

もう結局、どうでもいい………

 

自分の見たもの、この目に映ったものでしか形作られていない世界では、これ以上考えられない。

 

正解がない。生きる意味もない。

そしておそらく答えを出す必要もない。

 

どうすればいいんだ、人生